- チーム: Scuderia Ferrari Marlboro
- マシン : Ferrari F2008
- カーナンバー : 1
“ワールド・チャンピオン、キミ・ライコネン”として迎えたシーズン。大きな期待を一身に受け、オフシーズンから順調に歩を進める。
開幕戦でのドタバタこそあれど、その後4戦を好成績(2勝)でまとめ、2年連続でのタイトル獲得は濃厚なものと思われた。しかし、モナコから全てが狂い始めてしまう。
土曜の予選、最後の最後で僚友フェリペ・マッサにPPをさらわれたのがケチの始まりか、決勝ではペナルティ、フロントウイング破損、追突とまったくいいところなく自身の連続入賞記録も12でストップしてしまう。(追突に関しては、相手が“居てはならないポジション”を走行していたエイドリアン・スーティル −黄旗無視によって25秒ペナルティ必至だった− とあって“キミもまた被害者”という解釈を僕はとっている。)
次のカナダで汚名挽回を喫するもピットロードでの“撃墜”に遭いまさかの2戦連続ノーポイント。更に次のフランスでも挽回を試みるが、エキゾースト・パイプの破損により目前の勝利を失う。そうこうしてるうちに順調さを欠き、ファステストは記録するも結果に繋がらないレースが続いてしまう。真夏のハンガリー以来、キミが再び表彰台に“帰ってきた”のは秋も色濃くなった日本でのことだ。
ただ、その間にも印象に残るレースがあった。キミが最も得意とするスパ・フランコルシャンでのベルギーGPである。結果は悲劇以外の何ものでもなかったが、渾身の想いで優勝(だけ)を目指したあの姿はこの先もずっと忘れることはないだろう。
“All or Nothing”
まさに「キミ・ライコネンの真髄」を強烈に示すレースであった。素晴らしい。
終盤3戦はマッサを凌ぐパフォーマンスをみせ、一時は逆転不可能と思われていたロバート・クビサのポイントに並び、勝利数でかろうじてドライバーズ3位を確保してみせた。(前年に比べ、あまりに“小さな奇跡”だった)
ファステスト10回という自己最多タイを記録しながら僅か2勝に終わってしまった2008年。潜在能力を持て余すそのレースぶりにヤキモキさせられ続けた一年であった。2009年は是非とも“元の姿”に戻ってほしいものだ。
開催 | 予選 | 決勝 | |
---|---|---|---|
オーストラリア | 15 | 8 | |
マレーシア | 2 | 1 | |
バーレーン | 4 | 2 | |
スペイン | 1 | 1 | |
トルコ | 4 | 3 | |
モナコ | 2 | 9 | |
カナダ | 3 | R | |
フランス | 1 | 2 | |
イギリス | 3 | 4 | |
ドイツ | 6 | 6 | |
ハンガリー | 6 | 3 | |
ヨーロッパ | 4 | R | |
ベルギー | 4 | 18 | |
イタリア | 14 | 9 | |
シンガポール | 3 | 15 | |
日本 | 2 | 3 | |
中国 | 2 | 3 | |
ブラジル | 3 | 3 |
- 優勝 : 2回
- 入賞 : 12回 (表彰台 9回)
- PP : 2回
- ファステストラップ : 10回
- ドライバーズランキング : 3位(75ポイント)