- チーム: West McLaren Mercedes
- マシン : McLaren MP4-20
- カーナンバー : 9
苦難であった前年を払拭するべく、シーズン前テストでは軒並み好タイムをマーク。チームにはポジティブな雰囲気が漂い、それはシーズンが始まると確信へと変わっていく。
序盤戦こそ速さの片鱗をみせながら歯車の噛み合わない惜しいレースが続くが、第5戦スペインGPで完璧なポールトゥウィンを決めると続くモナコも圧勝。誰の目にもMP4-20とキミ・ライコネンが2005年最速パッケージであることは確かであった。しかしながら信じ難い安定感を誇るルノー&フェルナンド・アロンソの前に惜しくもタイトルを逃すこととなる。年間7勝を挙げながらも無得点レースが5回。これが大きな要因だった。 その中には悲劇的な結末を迎えたヨーロッパGPも含まれており、そのレースを勝ち取ったのがアロンソである。こうした結果からキミには「不運な男」というイメージが定着してしまうが、このレースでの出来事は強い意志で勝利を求めた結果であり、タイヤ交換を行いみすみすアロンソを先行させるなど彼の頭には存在しなかった。
それはドライバーズタイトルを逃した直後の鈴鹿にて証明される。 17番グリッドという絶望的ポジションから追い上げ、ついにはファイナルラップの第1コーナーでジャンカルロ・フィジケラをブチ抜いた伝説のレース。そのオーバーテイクはもちろん見事なものであったが、全てはその手前のシケインで決まっていた。 キミの気迫、優勝のみを追い求める強い気持ちは確実にフィジケラを恐縮させていた。シケインにおいて警戒を強め過ぎた彼は立ち上がりのトラクションが甘くなり、あの大逆転劇を許してしまったのである。
タイトルこそ獲れなかったがキミは一層強くなり、勝利に飢えている。不器用だろうと最高に格好良く思い出深いシーズンだ。
開催 | 予選 | 決勝 | |
---|---|---|---|
オーストラリア | 10 | 8 | |
マレーシア | 6 | 9 | バーレーン | 9 | 3 |
サンマリノ | 1 | R | |
スペイン | 1 | 1 | |
モナコ | 1 | 1 | |
ヨーロッパ | 2 | 11 | |
カナダ | 7 | 1 | |
アメリカ | 2 | - | |
フランス | 3 | 2 | |
イギリス | 2 | 3 | |
ドイツ | 1 | R | |
ハンガリー | 4 | 1 | |
トルコ | 1 | 1 | |
イタリア | 1 | 4 | |
ベルギー | 2 | 1 | |
ブラジル | 5 | 2 | |
日本 | 17 | 1 | |
中国 | 3 | 2 |
- 優勝 : 7回
- 入賞 : 14回 (表彰台 12回)
- PP : 6回
- ファステストラップ : 10回
- ドライバーズランキング : 2位 (112ポイント)